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粟国島にある偉人顕彰碑をめぐって解説してみた~粟国島に超エリートがいた編~

ハイタイ!観光担当のえみこです。今年もどうぞ宜しくお願い致します。

さて今回、無料で配布しているAGUNI ISLAND GUIDEMAP(観光ガイドブック)の地図上に、青丸で示されている【偉人顕彰碑】を巡ってみました。

顕彰碑(けんしょうひ)は好きな人にしか興味がないであろうちょっぴり地味な観光スポットであり、正直私は「顕彰碑」という言葉がモヤッとし、スルーしてしまうスポットです。そして、全く映えません!言葉の意味をWikipediaで調べたところ、個人の著名でない功績や善行などを称えて、広く世間に知らしめるために建てられる石碑などのことだそうです。

先にお伝えしますが、ないちゃーのわたしは琉球史がさっぱりです。頑張って調べた解説感がありますがどうぞご了承くださいませ。

さて本題ですが、今回ご紹介するのは島内に3箇所ある顕彰碑のうちのひとつ、字浜に位置する『新里(與那城)筑登之親雲上里忠の碑』です。碑の場所は、粟国港を出て右手に進むと「観音堂」が見えてきます。こちらの敷地内左手にあります。

まずはじめに、名前長!!!!どこで切るの?なんて読むの?とアレルギーが発生する人がいらっしゃるかと思います。

落ち着いて名前を分解し、紐解くとこうなりました。

まずこの方は本名“與那城 里忠”。まだ沖縄が琉球王国だった1649年~1713年に存在した方です。日本国の歴史では江戸時代にあたります。奉仕先の上司と同名だったために、與那城から新里へ改名されたそうです。(上司と同名の場合は下位の者が改名する慣習があった。)そして“筑登之親雲上”は、王府(琉球王国)から与えられた位階であり、里忠の身分を表しております。

で、何をした人なの?

という疑問ですが、碑にかかれた略歴や活躍を私なりにザッックリ解釈すると

【農民出身なのにスーパー出世し、王府にご奉仕した希で優れた粟国島出身の人】

であることが分かりました。

農民出身者が士族に認められ位階を授かるということは、当時相当希な出世でありました。士族とは王族の次に高い身分で、その中でも采地(領地)を持つものは上級士族、持たない者は一般士族に分けられ、里忠は一般士族にあたりました。顕彰碑では “家譜に示された偉人”として伝えていますが、家譜(系図)とは士族のみに所有が許された家系に関する記録で、これが農民出身者に与えられたことは非常に珍しく、希少価値の高い家譜と評価されているそうです!

「人並み以上の努力や勤勉進取の精神力を基に、才能を発揮し人望を得たことでこのような出世を遂げた」とのことで、なんだか努力家で素敵な人に思えてきました。(親か先祖が云々かもとのことですがそこはおいておきましょう。)

このようなエリートがいたなんて!と新たな発見になりました。粟国島de出世祈願☆なんてキャッチコピーもなんだかアリな気がします。そして余談ですが、この記事のおかげで私のiPhoneの検索履歴が琉球史一色に。自分にとっても勉強になりました。

興味がある方は、ぜひぜひお立ち寄り下さい。

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